メンソール・メンソーレ
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“魂”について

 ゼミ合宿の発表と前期のゼミの発表のときに、“魂”という言葉の使い方や、考え方についていくつか指摘を受けたので、今回新たに“魂”について考えてみた。


 まず、魂という言葉は、どのような使われ方があるだろうか。
 霊魂、人魂、大和魂、侍魂、魂に語りかける、魂に刻む、魂が震える、魂の言葉(言霊;ことだま)、などがある。
 霊魂、人魂というと、墓場にぼうっと浮かんで消える、オバケのようなイメージがある。そして、死んだ人間(生き物)の体から抜け出た霊体というオカルト的な考え方をするだろう。
 大和魂、侍魂などはどうだろう。これは、自分が生まれ持った宿命のようなイメージがある。そして、これは守り抜かねばならない強い信念という考え方ができる。
 他の言葉はどうだろうか。魂に刻む、魂が震えるなどは、魂という言葉を「心」という言葉に置き換えても違和感なく読める。しかし、具体的にどうであるかは言葉では言い表せない。そう、魂とは言葉では言い表せない部分のことを指し示すのだ。魂とは頭で考えるものではなく、心で(あるいは自分の魂で)感じ取るものなのかもしれない。


 では、魂にはどんな呼ばれ方があるのだろうか。
 よく耳にする“スピリット”、“ソウル”など。そして、間瀬先生がよく私たちに言う“メタファー”という言い方。また、ギリシャ語の“プシケー”やドイツ語の“ゼーレ”などもある。
 どれも魂のことを示すが、言い方によっては違う意味で捉えられるのではないか。


 “ゼーレ”、“ソウル”を一般に“魂”と訳す人が多い。
 “魂”と漢字で書くと男性的な感じになるが、ゼーレは平仮名の“たましい”に近い感じで、「体に宿ると命が息づくもの」という意味合いを含んでいる。
 “プシケー”には“たましい”という意味と“蝶々”という意味の両方ある。この場合プシケーはゼーレに近い意味で使われており、「蝶々のようにひらひら舞い、動き回って玉虫色に変わる」という可愛らしくてきれいなイメージとしてとらえられている。
 “スピリット”はどちらかというと、霊(ガイスト)としての意味合いがある。
 日本人にとって「霊」と言うと、静かで薄気味悪く、理解しにくいかもしれないが、ガイストとかスピリットは非常に元気がよく、活気あるものと考えられている。
 これらは、少し神学的で宗教学的な考えの“魂”の意味合いを持っているように思える。


 今までのは序論にすぎない。
 私が今回一番考えなくてはならないのは、“メタファー”についてである。
 メタファーとは隠喩であると先生は言う。
 つまり、魂とは隠喩表現であり、例えであるということだ。
 では、何を隠喩しているのか。それは“私”というものであるという考えに至った。
 池田晶子さんも、魂とは「自分が自分であるところの“これ”、ある人がその人であるところの“それ”」などと表現している。
 そして、「“私”の“魂”」ではなく、「“魂”の“私”」という言い方をしている。
 もう少しわかりやすい言い方をすれば、魂とは「個性」とか「私らしさ」というものになる。
 よく、「一人の人間を構成しているのは、肉体と精神と魂」という言い回しをされることがある。
 魂が「私が私であるための個性」のようなものだとして、この魂がなく、人は肉体と精神だけで構成されるとしたら、どうなるだろうか。
 世の中は同じような人間であふれ返り、みんながみんな同じクローンのような、つまらない世界になってしまうのではないか。肉体的や外面での変化もなく、考え方の変化もない世界などは、怖くて想像したくない。
 ということは、魂はとても重要な役割を担っているということになる。


 私がゼミで死生学を研究するようになって、足りない部分はここにあった。
 「人が人らしく死ぬ(あるいは生きる)」という以前に、「私が私らしく死ぬ(あるいは生きる)」ということを考えれば良かった。
 魂があるからこそ、私は私でいられる。だから、こうして私なりに考えたり、感じたりできるのだ。つまり、魂は私であり、私は魂である。
 “私”という言い方も、またメタファーだ。
 “私”は、私という人間の肉体も精神も魂も含めて全てなのだが、その根本的な部分は全て魂にある。
 もし、魂がなければ、私は私ではなく、その他大勢だった。
 「魂がない」という表現の仕方はおかしいのかもしれない。前に「魂はどこにあるのか」や「魂が死ぬ」という表現の仕方はおかしいと先生に指摘されたことがある。
 魂はあるとかないとかではないのだから。と。
 そして、また、魂について私の堂々巡りが始まる。魂について考えると、頭の中で糸がこんがらがってしまう。最終的に、自分も他人も納得のいくような答えはなぜか見つからない。
 これは、魂がそうさせているのかもしれない。魂は、言葉では言い表せないものなのだから、魂が言い表されてしまったら、それは魂ではなくなってしまう。
 魂は、私たち一人一人がイメージとして捉えていくしかないのだ。



【参考文献・資料】
●間瀬啓允  「私のサナトロジー」より 3.魂についての語り 4.フロイトの魂学
  (関根清三 編 『死生観と生命倫理』 東京大学出版会 1999 所収)

●池田晶子 『魂を考える』 法蔵館 1999
同書より <魂>の考え方 <魂>の感じ方

●Net Club JUNG (日本ユング研究会主催)のホームページ
  http://jung.circle.ne.jp/

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【2005/08/23 23:14】 死生学・生命倫理 | トラックバック(0) | コメント(-) |

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