メンソール・メンソーレ
いつか死ぬその日のために、今をひたすら生きているヘタレ大学生の肥溜めブログ。

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死の自己決定

「死は誰のものか」ということで考えてみると、まず、「自分のもの」という考えが出てきます。
 いかし、実際の尊厳死や、臓器の提供などに関しても、必ず家族の承諾を得なければできないし、それを決行する意思の判断にも左右されてしまうという点では、「死は、自分と、自分に携わった人間みんなのもの」という考えになります。

 人は誰でも生きる権利、死ぬ権利、安らかになる権利があります。
 だから、その権利を有効に活用するには、常日頃から家族や医師たちと、自分の死について話し、理解してもらうことが必要です。
 そのようにしないと、食い違いが出てきて、家族や医師たちの間でいざこざが起きるのです。
 日本で、このようないざこざがよくあるのは、日本人の中で「死=タブー」という考えが根強く残っているからだと思います。

 肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛からも逃れるために、死を選び、そしてその行為を他人が助けるという自殺ほう助の精神に関しては、まだ少しひっかかるところがあります。
 私は「自殺なんて行為は、弱い人間のすることだ。」と思っていたからです。
 でも、それは違うのかもしれないな・・・と、今日思いました。

 ですから、私は、「死ぬ権利」に関しては良いとは思うのですが、「自殺」をもっと深く考えていく上では、まだ理解しきれない部分があるのです。
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【2005/08/23 23:01】 死生学・生命倫理 | トラックバック(0) | コメント(-) |

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慧;ヶィ
  • Author:慧;ヶィ
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    中途半端にいろんなことに手を出すので、
    無駄に役に立たない知識が溜まってゆきます。
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