メンソール・メンソーレ
いつか死ぬその日のために、今をひたすら生きているヘタレ大学生の肥溜めブログ。

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日本における公害病と公益

 講義の中で、公害病についての学習をして、もっと調べてみたいと思った。
 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息は、日本の四大公害病として知られる有名なものである。これらの公害病は、開発に伴うずさんな廃棄物処理により、環境汚染の結果もたらされたものである。
 これら公害病についての原因や経歴などを調べると共に、公害と公益について理解を深めてみようと思う。

(1)イタイイタイ病
 イタイイタイ病は、大正時代から発生していたと思われるが、その原因が分からず、神通川流域で特有の、原因不明の難病と思われていた。この病気は、神通川流域の川、地下水を飲料水として使用していた地域の農家の、特に中年以降の経産婦に多く発病したことから、女性特有の病気と思われていた。
1955年、地元の民間臨床医の萩野昇博士らにより、体内に異常に蓄積されたカドミウムにより、骨が脆くなる骨軟化症の一種であり、カドミウムに汚染された地下水や川の水を飲用したことが原因で起こる、公害病であることを医学会で発表した。
この病気にかかると、くしゃみをするだけでも胸骨や、顎の骨が折れてしまうくらい、骨がもろくなってしまい、骨の折れる痛みでイタイイタイと泣き叫び、徐々に衰弱し、やがて死亡する例が多いい事から、「イタイイタイ病」と名づけられたのである。
 「イタイイタイ病」は、まさに悲惨な病である。一家の主婦が被害者となるケースが多かつたため、家庭生活は破壊され、とり返しのつかない悲劇もおこっている。現在も根本的な治療法はない。
当初、発表者が民間の医師であったことから、この「公害病説」は大学偏重の我が国の学界の中では無視され、さらに工場誘致による地域開発を進めていた富山県は、公害問題の深化をおそれて、事件をもみけそうとし、萩原医師らは地域からも孤立、事件解決の道は遠のいてしまう。
だが、10年後の1968年、小林純、吉岡金市両博士の協力で、当時神通川上流にあった神岡鉱山の廃液に含まれる、カドミウムを主体とする中毒であることが証明され、やっと政府は鉱毒説を認めた。
しかし、企業側はこれを認めず、被害者らは裁判をおこす。
後に神岡鉱山は、大量の廃液を未処理のまま、夜間や降雨による増水時に、密かに神通川に垂れ流し続けていたことが、判明、その結果下流域の河川、地下水、穀倉地帯の広域土壌汚染をまねく結果となった。これは企業による殺人行為そのものである。

(2)水俣病
水俣病はチッソ水俣工場の排水に含まれていたメチル水銀が原因で発生した、戦後最悪の公害事件であり、長年月にわたり工場排水を、無処理のまま水俣湾などに放出した結果、魚介類を汚染し、 それを食べた人に発症する公害病である。
 この病気は、体内に蓄積したメチル水銀によって主に脳の中枢神経系(大脳皮質および小脳皮質)と末梢神経が侵される病気で、 多彩な臨床症状を示す症候群である。特に手足や口の周りの感覚障害が特徴で、すべての患者に現れる。
 このほか、運動失調、聴力障害、視野狭窄、言語障害などの神経症状があり、さらに知能低下などの精神症状もみられる。
 治療法は根本的なものがなく、主に対症療法やリハビリテーションに頼っているのが現状である。
 水俣病と認定された患者は、昭和56年(1981)11月末現在で1784人、そのうち死者は478人を数える。
 このほか、まだ認定待ちの申請者が5000人を超えており、最終的にどれくらいの患者数になるかは現在のところわかっていない。
 公式発見後も、チッソや行政の責任逃れと、被害の拡大を食い止める適切な対策が何ら講じられないまま、被害が極限まで拡大し、 巨大な公害事件に発展したのが水俣病事件である。
この事件をさらに拡大した原因は、企業と政府・自治体、お抱え科学者の三位一体となって犯した犯罪的行為である。
1959年、熊本大学医学部水俣病研究班は、当時、水俣湾一帯に起った奇妙な病気の原因が、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀(メチル水銀)による、有機水銀中毒によるものと発表した。
同年、チッソ水俣工場付属病院長・細川一博士は、猫をつかった独自の実験により、アセトアルデヒドの製造工程の排水により、同様の症状があらわれることをつきとめ、会社幹部に報告する。
 ところが、チッソはこの段階での熊本大の研究の不完全さを理由に、東京工業大学清浦教授のアミン説や、日本化学工業協会大島理事の爆薬説を反論として対抗し、細川博士や熊本大研究班の立ち入り検査を制限し、研究妨害を続けた。
 1963年、熊本大研究班は苦心の結果、アセトアルデヒドの製造工程から有機水銀が排出することをたしかめ、国際的にも学会で承認されるに至る。
 この間、政府は水俣病の原因は不明とし、チッソと日本化学工業協会を擁護、事態を放置した。
 政府が本格的に有機水銀の調査を始めたのは1966年、チッソによる工場公害と認めたのは翌年である。熊本大研究班の発表から、約8年後のことであった。この間、新潟県阿賀野川下流部において、第2水俣病が発見された。
現在、水俣湾一帯の有機水銀で汚染されたヘドロは、巨額の税金で処理され、死の海も少しずつ快復してきたとは言え、水俣病認定や患者補償の問題は、いまだに解決のめどさえたっていない。
 少しずつ風化しようとしている事件だが、メチル水銀中毒症という医学的病名は、公害病「水俣病」として世界的に知られるようになった。


(3)四日市喘息
1960年頃より四日市コンビナートで石油公害が発生した。その後、大気汚染や海水汚濁による、いわゆる四日市ぜん息患者の発生や、異臭魚問題などを引き起こして、四日市の名は、わが国有数の公害都市として全国に知られるようになる。
当時、地域振興が叫ばれ、各自治体は積極的に工場誘致運動を起こしていた。
 この誘致運動は、進出した工場に対して税制上の優遇措置等が講ぜられたが、それらがもたらす公害問題に対する配慮が十分になされず、適切な地域開発計画や、土地利用計画の下での公害防止に、力点を置く余裕のない公害都市を出現させた。
 高度経済成長期における公害問題の代表例として、全国的な住民運動に発展するきっかけとなる。

(4)新潟水俣病
1964年、新潟県阿賀野川下流域において、第二水俣病が発見され、半年後に新潟大学・椿忠雄教授らによって、「水俣病」であると発表された。
 さらに、政府の委託調査団は、チッソと同種の製造工程を持つ「昭和電工鹿瀬工場」の廃液が、水俣病の発生原因と「診断」すると発表した。
 「断定」ではなく「診断」といったのは、発表直前の通産省の圧力によるものと言われている。
 ところが、昭和電工は責任を取ることを拒否、被害者側は裁判を提起した。
裁判では、政府調査団などの「工場廃液説」に対抗し、横浜国立大学・北川徹三教授の「農薬説」を主張。
 結果としては、「工場廃液説」が立証されたが、長期の裁判で被害者らは、さらに不安と苦しみを味わうことになる。
 昭和電工は事件後、この工場を別会社にかえ、問題の生産施設を撤去しただけでなく、製造工程図のような証拠物件をもすべて焼却してしまったのである。
 真意はともかくも、証拠隠滅といわれてもしかたのない犯罪的行為である。

(5)足尾銅山鉱毒事件
 これは四大公害病ではないが、日本の公害の原点となる重要な事件だったので、述べておく。
足尾銅山の精錬所から有毒廃液が渡良瀬川に垂れ流され、下流沿岸全域で農・漁業、 住民生活に重大な被害を及ぼし、日本の公害事件の原点と言われるようになる。
その後、鉱毒被害は深刻化、被害が渡良瀬川下流の利根川水域全体に拡大するにつれ、重大な政治問題になる。
 1891年、栃木県選出の代議士・田中正造は、住民の被害防止と救済を求め、足尾鉱毒事件を帝国議会で弾劾する。
 1900年、足尾銅山の操業停止を求め、群馬県・館林の雲竜寺に集結した群馬・栃木県下の被害民ら約3000人が、上京して被害の惨状を政府に訴えようと渡船場の川俣に到着したところ、 待ち構えていた警官・憲兵隊に急襲され、300人以上が重軽傷を負った。
 この流血事件は、後に「川俣事件」と呼ばれ、当時の政府の無策と、警察の横暴を示すものであった。

(6)その他の公害とまとめ
 近年のものとしては、荏原製作所引地川ダイオキシン汚染事件や、JCO東海村臨界事故などがある。
 これら公害は、1つのことをよりよくするために、他の部分を見ることが疎かになり、公益から公害へとなってしまったものばかりである。
 これら公害を防ぐためには、開発をやめなければならないかというとそうではない。開発の仕方と、開発に伴う廃棄処理や企画などをもっと工夫して、小さなところまで疎かにせず、実行していけば良いのである。
 例えば、その開発に合わない土地での開発は、その土地を悪くするだけである。土地に合った開発をすることは、その土地の特色を生かすことにもなり、環境も崩れない。
 また、逆に、新たな試みをする場合もある。この土地では育たないと思われている作物を作ってみて、それが成功することもある。しかし、それは環境を崩さないための入念な調査と細かい配慮が必要であり、成功までには長い時間もかかることがある。
 また、地球環境を思いやる気持ちが、大切で、その気持ちひとつで、公害への道を突き進もうとする開発を、公益への道へ導くことができる。
 私たちがもう二度と公害病のような悲劇を起こさないためには、真の公益について考えることが必要であり、本当に必要な開発だけを行い、できるだけ環境を破壊しないように配慮しなければならない。


【参考文献】
・ 宮沢信雄 『水俣病事件四十年』 葦書房 1997
・ 『全国公害患者の会連合会』
http://www.aozora.or.jp/kougai/
・ 環境省『環境白書情報』
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/
・『日本の公害の歴史年表』
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~yu-walk/kankyo-20-36.htm
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【2005/08/23 23:07】 自然・環境 | トラックバック(0) | コメント(-) |

『地球持続の技術』を読んで




 私はこの本を読んで、地球がゴミで埋まってしまうということが一番気になった。生ゴミは土に還すことはできるけれど、人間が作った人工物は、土に還すことができないため、そのままにしていたらゴミは溜まって行く一方である。そこで、リサイクルの大切さを改めて思い知らされた。技術は人間の生活をより良くするために発展してきたということを知ると同時に、地球をいつまでも青いままにするために技術はこれからも発展して行かなければならないということを学んだ。最近ではリサイクルの技術もかなり良くなって、ゴミ処理施設なども、かなり画期的な構造になっているため、これから人工物全てがリサイクルできるようになると良いと思う。
 また、自然エネルギーについては、身近に感じられるものがあると思った。大学では太陽光を使った発電をしているし、近隣の立川町では風力発電をしている。また、ゴミ処理施設では処理によって生じた熱をエネルギーに変えたりもしている。この本を読んで、いろいろな自然エネルギーの種類を知ると同時に、省エネについても深く考えさせられた。自然エネルギーに頼るのは良いことではあるが、エネルギーの無駄遣いをするのでは意味がない。冷蔵庫やクーラーなど、冷やす効果のあるものでさえも、エネルギーを消費して逆に熱を帯びて地球を温暖化に導いているくらいなのだから、地球を冷やす科学技術が開発されれば良いと思った。地球の温暖化の原因である熱をエネルギーに変える技術が生まれることを願う。
 人は技術によって地球を少しずつ削ってより良い生活を求めてきたが、今度は贅沢を削って地球をより良くしていくために技術を開発していかなければならないと思った。
【2005/08/23 23:05】 自然・環境 | トラックバック(0) | コメント(-) |

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慧;ヶィ
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