メンソール・メンソーレ
いつか死ぬその日のために、今をひたすら生きているヘタレ大学生の肥溜めブログ。

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貧困について腹出して考えてみた


ほっとけない 世界のまずしさ




 「お金ではなく、あなたの声が必要です。」だそうです。
 全国の主要書店とかで、ホワイトバンド300円で売ってます。
 このホワイトバンドがめちゃくちゃかわいいの!
  * * * (アスタリスクかな?お花模様に見える。)がかなり(・∀・)イイネ!!
 シンプルだし、アクセとしても良さそう~!
 しかも300円だし。
 安いし、欲しいYO!


 なんか貧困から人々を救うためというより、ファッションとしてコレが
 欲しいみたく書いちゃってますが、一応キャンペーンの紹介です。
 詳しくは上に貼ったバナーから見てみてくださいまし。


 24時間テレビとかだと、Tシャツ1000円とかじゃん?
 イベントTシャツなんてそれ以降は家で着るしかできないし、
 1000円だと買うのためらうよねー。
 でも、リストバンドなら手軽だし、しかも300円で安いから、
 買おうかなーみたいな気になると思う。
 しかもデザイン的に優れている!
 キャンペーン臭さもない!
 この方法は画期的だと私は思うよー。


 そしてそれゆえに品薄状態が続いているようです。
 近くで売ってるとこないかなーと思って、全国販売リスト書店見たら、
 庄内に全くないじゃないの・・・。orz
 ショックだわぁー。
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【2005/08/23 23:39】 公益 | トラックバック(0) | コメント(-) |

郵政民営化法案否決@個人的見解

ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡  正直、マジギレした。



 小泉ちゃん可愛そうだ・・・。
 さぁ、今こそ反対派を自民党から排除するんだwwwwwww


 まぁ、個人的にはちょっと(´・ω・`)ガッカリ・・・程度なんですけどね。
 tu-ka反対する人の気持ちが私にはわからんので。
 民営化したら多少は営業時間の融通とかも利くだろうし、
 新たなサービスとかもできそうな気がするのですが・・・。
 それに、もうすでに「郵政公社」って名前になってるじゃないですか。


 んで、国鉄→JRになったし、電電公社→NTTになったわけなんですが、
 それって実際のところどうなの?
 私は国鉄や電電公社の時代は知らないけど、やっぱ便利になったんじゃ
 ないのかなぁ~?と思うんですが。


 まぁ、私個人の意見としては、これからは公務員とか国会議員とか、
 税金からお給料もらってる人を少しずつ減らしていきたいとか思うわけですよ。
 そんで、それをNPO法人にしちゃうの。
 そしたら利益追求しないから、半ボランティアになるわけっしょ。
 で、とっても公益的。
 だってさ、



 ほんとに日本を良くしたいと思うんなら、
 ボランティアだっていいと思うはずだもの。



 正義のヒーローってのは見返りを求めないから人々から愛されるのよ。
 それ以前に、議員とかって報酬多すぎると思うの。
 高額のお金がもらえるからこそ、賄賂とか汚職事件とかもおきちゃうのよ。


 あと、議員も公務員と同じように、試験とかやればいいと思う。
 有名度が高ければ議員になれるのっておかしいでしょ。
 今日否決の様子見てたら、お笑いマンガ道場の元司会者も議員になってたし。
 しかも微妙に眠そうだったwwwwwwwwwww
 あと、ガッツ石松とか、芸能人としてはあのバカっぷりがとても好きだけど、
 あんだけ頭バカなのに議員になっちゃうってのはちょっとwwwww
 「NG」を「んぐ」とか言っちゃう男だぜ。
 絶対あれは計算ではなく天然ボケだと心から思う。


 それから、3月くらいになると、予算を減らされないように、
 予算を使い切ろうと一斉に道路工事とかやたらとやってるっぽくね?
 個人的に、予算を無駄遣いしない都道府県市町村にこそ、どうしても
 必要になったときに、高額を援助してあげるべきだと思うよ。
 無駄遣いするとこにばっかりどんどんあげちゃってどうすんの。
 とか思うわけです。


 天皇という存在も、いつまでも残しておかないほうがいいと思うのだ。
 雅子様だってストレスたまってるじゃんか。
 愛子様だって、みんなかわいいかわいいって言ってるけど、
 それって皇室のお子様だからじゃないの?
 まぁ、将来美人になるかもしれないけどねー。
 皇室の人間だからっていろいろ制限されてて、ほんとつらそう。


 これから、日本が戦争をすることは絶対無いってみんな言うけど、
 いつ戦争が始まってもおかしくないぐらい殺伐としてるし、
 第一日本って北朝鮮とアメリカの間に位置してるじゃんwwwww
 日本の頭の上を核ミサイルが行き来することもあるだろう。
 日本は唯一の被爆国だけど、これからの時代は戦争を知らない子供たちが
 どんどんと増えて行って、戦争を知らない人しかいなくなっちゃうんだ。
【2005/08/23 23:37】 公益 | トラックバック(0) | コメント(-) |

「公益法人論」の講義の感想。

 私は、公益法人というと、ボランティア団体のような、善良な団体ばかりだと思い浮かべていました。
 しかし、その公益法人が、高級官僚の天下りのために作られてるものもあるという事実を知って、なんだかすごく見方が変わりました。
 公益とは、世のため人のための社会的な利益であるはずなのに、その日本を仕切っている上の人間だけがいい思いをするのは、絶対間違っていると思います。
 公益法人を、自分たちの都合のいいように扱わないでほしいと思いました。
 北沢先生がおっしゃっていた公益の定義も、人間と人間・人間と環境の調和というものでしたが、現代社会ではごく一部の小さな集団だけの利益という感じしかしませんでした。
 やはり、国民が一丸となって社会をより良い方向へ持っていくには、国民ののまとめ役をしている人間がしっかりと公益についてよく理解し、それを本当の意味で実行しなければいけないはずです。
 それができていない現代日本では、公益法人はあまり意味を成していません。
 それどころか、公益法人について、あまり広くは知られていないと思います。
 おそらく違う名前では一般的に知られていても、公益としての存在は、なかなか人々には知られていないと思います。
 それは、きっと、多くの人がまだ公益について知らないからです。
 多くの人々は、公益よりも、私益を求めていると思います。
 国のトップにいる人間が、私益ばかりを求めて、公益法人を利用し、その公益の意味をなくすようなことは、絶対にやめるべきだと思います。
 また、公益的というより公的なものとして、日本郵政公社のあり方についても、今後大きく関わっていくと思います。
 NTT(日本電信電話)やJR(日本旅客鉄道)も、昔は国が運営していました。
 だからこそ、今も広く根付いて、大事業となっています。
 郵政公社も、今後同じような道を辿って行くとしたら、T北K益B科大学はどうなるでしょうか。
 T北K益B科大学は、公設民営です。
 T北K益B科大学から、公益のプロフェッショナルを世間に排出して行きます。
 公設民営のメリットを利用し、公務員など国家関係に多くの学生が就職をしたり、将来的に政治家として活動するとします。
 そうすれば、天下りとは逆の現象が起きるわけです。
 そして同時に、高級官僚の、公益法人を利用しての天下りが防げるようになります。
 もし、そうなれば、国のトップに立つ人間が、公益の精神を持った、公益のプロフェッショナルでありますから、国は自然と公益的に向かって行きます。
 そして、それに国民も、自ずとついてくるはずです。
 そして、天下りのために作られる公益法人はなくなり、公益法人は本当の意味での公益を果たすための法人になります。
 しかし、それは容易なことではありませんから、私たち学生は、公益についてもっとよく理解していくことが大切だと思いました。
 もし、将来的に天下りの逆のことが実現できたなら、それは必ず真の公益になると、私は思います。
 以上が、私が講義を聞いて感じ、新しく発見したことです。
【2005/08/23 23:17】 公益 | トラックバック(0) | コメント(-) |

【良いこととはどのようなことか。どうしてそれが良いことと言えるのか。】

1. はじめに
 以下は『思想の世界』(1)というインターネット上のサイトの「現代倫理学概説」からの引用である。


「倫理学とは、簡単に言えば、『何が善で、何が悪か』の善悪の基準を問う学問です。
しかし善悪の基準を問う問いというのは、私たち人間がもっているさまざまな問いの一つというよりも、人間の行為を前進させるための必要不可欠で、最も根本的な問いに他なりません。
 『良いことが何か』を知らずに『より良い生』を営むことができないからです。
 そして、人はだれでも、自分自身とその環境を開発しなければならないという宿命を背負って生きていますが、その宿命的な開発の方向を決定づけるのが倫理学だからです。
 倫理学は、方法論的には、他の諸学問と同様に、それを客観的に考察する学問ですが、今日、私たちは、ほとんど無数といってもよいくらいの倫理学に出会います。
 科学や学問の発達にともなって、医学倫理、生命倫理、政治倫理、社会倫理と個人倫理、状況倫理、宗教倫理、などなど、各々の立場や分野で『倫理』と名のつく言葉が数限りなく生み出されてきました。
 しかし、それがどんなものであれ、倫理学の構造は、『倫理』という言語概念によって、おおまかにではありますが、枠づけられています。」



 それでは、善悪の基準はどうやって決めるのか。私たちはどのように善悪を認識しているか。そして、「良いこと」「悪いこと」とはどういうことなのかについて、哲学的見解を交えつつ、探ってみることにした。


2.常識と善悪の認識
 現代でいう善悪とは、社会一般の「常識」の中に存在しうるものである。
 昔話や宗教的な天使と悪魔、正義のヒーローと悪者など、私たちが無意識に善悪と認識しているものも、良く考えたら、その線引きはどこにあるのだろうか。
 善悪というものは、人間が日々の生活の中で、社会を形成していくうちに出てきた「道徳」や「モラル」に伴い出てきたものである。
 善悪の認識は、国、思想、宗教、環境、習慣などで異なる。それは同時に常識の捉えかたの違いになる。
 例えば、イスラム教徒は豚肉を不浄なものとしているため、食べない。インドでは、左手は不浄の手としているため、食事は右手で食べる。マサイ族は、ほぼ裸に近い状態で生活している。韓国では、犬を食べる。
 このように、所変われば常識も変わり、時代も変われば常識も移り変わっていき、個々の思想などが自由になっていくと共に、認識も多様化していった。それにより、時に常識から大きく外れた常識観念が出てくるようにもなった。
 アメリカで、電子レンジで猫を乾かそうとしたところ、猫が爆発して死んでしまったので、「電子レンジで猫を乾かすなと書いてない。」と、電子レンジの製造業者を訴えた例がある。
 また、ファーストフードの食べすぎで太った人が、肥満になったのはファーストフードが高カロリーだからだと、某ファーストフード業者を訴えた例もある。
 私たちの常識では、考えられないような話だが、彼らにとってはそれが常識なのだ。
 この2つの訴訟、どちらも原告側が勝っているが、「電子レンジで猫を乾かすな。」と注記しなかった電子レンジ業者や、高カロリーのファーストフードを提供したファーストフード業者が真の悪者というわけではない。
 善悪の認識は、多様化した常識の中では、判別が難しくなってきている。


3.善悪の矛盾性と犠牲論
 物事の善し悪しを語る場合、「言い訳」というものが出てくる。
 良いことをするためには、何か犠牲を払わなければならないという場合である。
 例えば戦争はどうだろうか。愛する自国を守るため、他国の人間と殺し合いをするというこの行いは、良いことか、それとも悪いことか。
 現代の日本では時代と共に国政も変わり、戦争は「良くないこと」として認識されつつある。しかし、戦前の日本のように、戦争を「正義」として認識している国もまだある。もしくは、「正義のためにはやむを得ないこと」として認識している国もある。
 加藤尚武は、自著である『世紀末の思想』(2)の中で、「正義の戦争」という観念は、キリスト教によって形成されたものであると言っている。
 正義のために戦うことはよしとしても、その戦いによって行われる殺人という行為が許されるわけはない。
 講義の中でもディスカッションした、「自分の姉がイラクへボランティアに行きたいと言ったらどうするか。」という議題でも、人を救うためにボランティアするのは良い、しかし、戦地という危険な場所に行くことで、人質に捕られて脅されて殺されたり、助かったとしても政府や株価に影響を及ぼすなどして、世間に顔向け出来なくなったりしたらと考えると、行かせたくないという意見が出た。
 また、森鴎外の小説『高瀬舟』(3)の中で、主人公は、病気の弟が自ら包丁を喉に刺し、「苦しいから早く抜いて死なせてくれ」と懇願するので、包丁を抜けば喉笛が切れ、出血多量で弟は死ぬが、弟を楽にさせたいがために、包丁を抜いた。その結果、弟は死んでしまい、主人公は殺人罪で島流しにされた。このケースには、生命倫理が絡んでくるが、この主人公の行いは果たして愚行だったのか。
 このように、善悪とは実に矛盾していて、一概に区切ることはできないのだ。


4.善悪とフィランソロピー
 私は専門演習で哲学や生命倫理について学んでいるので、フィランソロピーについても触れておく。
 講義ではフィランソロフィーと言っているが、語源であるギリシャ語の正しい読み方はフィランソロピーになる。
 フィランソロピーPhilanthropyの語源は、ギリシャ語で「人間」の意であるアントロポースAnthoroposと「愛する」という意味のフィレインPhileinの2つの語句から出来ている言葉で、そのまま訳せば「人間愛」「人類愛」「博愛」などとなるが、これは「個人と企業による社会貢献」即ち「公益活動」の意である。
 もし、私たちが善悪を誤って認識したり、常識から外れた善悪の見方をしたまま公益活動をしたら、それは公益活動にはならないだろう。
 ならば、公益活動は、「良いこと」を見極めるために重要な役割をしているのではないか。
そう考えれば、「良いこと」とは「公益活動」ということになる。
 そして逆に考えれば、自分勝手に私益だけを求めていくことは、公益活動ではない、つまり、「良いこと」ではないので、「悪いこと」になる。
 単純な見解だが、私の中での哲学では、「良いこと」と「悪いこと」はそれぞれこのように認識されている。


5.まとめ
 人間を客観的に見た時に、私たちは瞬時にそれが「良いこと」であるか「悪いこと」であるかを決め付ける傾向にある。
 そして、その中に秘められた事情を知った時、その判断を意外と簡単に覆してしまうこともある。
 善悪のパターンにも、自分にとっての善悪、相手にとっての善悪、特定できない誰かにとっての善悪があり、その判定は難しい。
 人は誰でも、幸せになる権利を持っている。加藤尚武も「豊かさを求める正当性とは何か」と問うている。
 こうして善悪について考えることは、公益的だし、哲学にもなるので「良いこと」であり、何も考えず生き方をよりよくして行こうという意欲がないことは「悪いこと」ではないか。
 つまり、善悪とは、倫理的に考えて、哲学しないことにあると考えられる。
 自分の生き方を公益的によりよくしていこうという気持ちが善を生み、自分勝手に私益だけを求めようとする気持ちが悪を生むのだと、私は考える。
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【2005/08/23 23:11】 公益 | トラックバック(0) | コメント(-) |

PROFILE

慧;ヶィ
  • Author:慧;ヶィ
  • ヘタレ大学生。
    中途半端にいろんなことに手を出すので、
    無駄に役に立たない知識が溜まってゆきます。
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